30年前を振り返って
マネジメントサポート は2022年に設立30年を迎えます。目標としていた節目を前に、コロナという未曾有の敵が立ちはだかっています。この大きな壁をどう乗り越えるか、逡巡した挙句、昨年末より代表取締役社長から取締役と立場を変えました。後継者に大いに挑戦してもらうと同時に俯瞰した目線で活路を探りたいと考えています。
そこでこのブログでは、仕事人、そして経営者としてどんなピンチに遭遇してきたか、企業が成長できる寿命は30年と言われる中をどうくぐり抜けてきたかを振り返り、不安な時代を生き抜くヒントを探ろうと思います。
私は千葉県船橋市の経営者の家に生まれ、多忙な父と伴走するように働く母を見て育ちました。母の口癖は「働かざるもの食うべからず」。兄と弟に挟まれた私も、幼い頃から一生働くのが当たり前だと考えていました。
短大卒業後にTBSの人事部に入社し、キャリアを求めて中国新聞社へ。さらに人生を自ら開きたいと転職を決意しました。
リクルートが就職情報誌を創刊したのは1975年、女性専門の転職情報誌「とらばーゆ」の創刊は1980年、転職が当たり前になる時代が来ると感じたものの、当時はバブル景気前、有効求人倍率は0.8倍と1を割る厳しい時代でした。
2社受け、5社受け、10社を超えても転職先は見つからず、ついに20社となっても不採用。どこの人事部でも「何ができるのかプレゼンして」と聞かれ、明確に答えられずにいたのです。
無能さを思い知らされて焦る日々、好き嫌いなど関係なく、スキルを求めて出始めたばかりのワープロを習い、面接で打ちのめされる恐怖に足を震わせながらも活動を続けました。(1982年に東芝から画期的なワープロJW-1が発売され50万円以上もしていた時代です。)
そんな折、友人から気分転換にと誘われたのが、産能大の女性講師によるキャリアセミナーでした。女性のキャリア形成という言葉など皆無だった頃、「こうして人に何かを教え、元気づける仕事があるのだ」と気づかされたのです。
仕事とは「1を1.5」にして増やしたり、「1をA」に変換させたり、「0から1」を創出するなどして価値を生み出すもの。そして、その価値が社会の需要と合って、利益となって報酬が得られるのです。
女性講師から「もう一度頑張ってみようか」と勇気をもらったように、自分の言葉や行動が社会の空気にマッチすれば、自己価値となるのだ……。
こうして、「教える、支える」が私のキーワードとなったのです。
派遣社員として虎ノ門のある企業でワープロを駆使し、研修事業を
手がけていた大学教授を無給で手伝いながらマナー講師のノウハウを探りました。
研修会社やビジネスマナー講習などまだ世に数えるほどしかった頃ですが、見えなかった道は意識を変えれば浮き出て来るもの。漠然としたキーワードでも事あるごとに周囲に話し続けていたら、不思議と繋がりが生まれてきました。
こうして、初めて登壇のチャンスがやって来たのです。
長くなるので今回はここまで。次回は初の登壇から起業までを話せればと思います。
仕事とは社会のニーズによって生まれるもの、そして、公言することで動かなかった状況が変わっていくケースは多々あります。
心の中で秘めているだけでは伝わらない、行動し話すことで、必ずどこかに繋がりが生まれてきます。この教訓はその後の私の仕事のカギとなりました。
続く…
OFF
海老蔵公演、古典と家族と
休日はお籠りの日々ですが、1月3日には久々の新橋演舞場へ。市川海老蔵、約1年ぶりの東京での公演です。成田屋のお家芸「毛抜き」に加え、お年玉企画として長女・ぼたんちゃんが「藤娘」を舞い、「橋弁慶」では長男・勸玄くんと踊って魅せました。子供たちの成長の早いこと、そして、父親としての懐の大きさとファミリー感が、コロナの恐怖をひととき和らげてくれました。
常に新しい挑戦を続ける海老蔵さんですが、今回はあえて古典を追求し、娘、息子に伝統を繋いで欲しいという思いがあったのでしょう。不安な時代だからこそ古
に戻って学ぶ。いつも何かを教えてくれる成田屋の舞台でした。
マネジメントサポートグループ オンライン新春特別講演
「2021年持続可能な経営と働き方」〜私たちはなにをすべきか〜
開催が迫っています。お申込み多数!
申込締切は1月25日(月)12:00まで。
【テーマ】
「カスタマーハラスメント 」「SDGs と女性活躍推進」「リモートワーカーのマネジメント」
【講師】
池内 裕美先生(関西大学社会学部教授)
寺村 絵里子先生(明海大学経営学部教授)
杉山 浩一先生(杉山マネジメント開発(SMD)代表取締役社長)
【日時】
1月26日(火) 13:00〜16:30
▼詳細はこちらから▼
https://www.ma-support.co.jp/open_lecture/2021newyearseminar/